「こうなるとは思っていなかった」

よくそう思う。
いつもどこかで,そう思っている。


普通に楽しく暮らしていても,いつもどこかで「まさか俺がこうなるとは思ってなかったよなぁ」と思うのだ。別に悪い意味じゃない。ただ,漠然と不思議なのだ。こうして生きていることが。
楽しくてしょうがないからこそ,漠然と不思議に思ってしまう。それが不思議でしょうがない。この感覚を,ここに書き留めておきたい。僕の人生のキーワードな気がするから。
この記事はもうずっと考えていたことで,語りたかったことだ。恥ずかしさは掻き捨ててみよう。


恥ずかしいから読まなくていいです><
読みたい人は続きをどうぞ・・・。



僕の元々の出身は仙台だ。小さいころの僕は,小学校の課題や文集なんかで「将来の夢はなんですか」と言われて困ってしまう,典型的アホガキだった。多分将来はサラリーマンでしょ,と冷静なかわいげのない事を考えて,「むしろ下手な夢をしゃべって将来ばかにされたくないな」とすら考えていた。
僕の世界は狭く,小学校と家と小さな商店と(今はコンビニだ)友達の家と川で出来ていた。今でも鮮明に憶えている光景は,1学期の終わる頃,夏休みの前に,学校に置いていた物を持ち帰って下校するときの空である。鍵盤ハーモニカやものさしやクレパスを,小学生には大きなかごに入れていた。その重さに困りながら(頭の上に載せたりして)帰っていた。その日はすごく青い夏空で,畑と駐車場の間の道を通り,公営住宅の横を通り,川辺の道へ向かっていた。その時の美しい夏空だ。
その時はこう思っていた。「仙台でサラリーマンなオトナになるんだろうな」。
僕は仙台が大好きだ。


小学校4年生の冬に僕は東京に引っ越した。親父の転勤で東京多摩の端っこにやってきた僕は,小学校・中学校・高専と計10年間をそこで過ごすことになる。中学校3年で高校入試に向かって志望を決めていくわけであるが,その時も「将来なにがしたいの?」と聞かれて困っていた。
下校しながら思っていた気がする。「不思議だよなぁ。なんで俺は東京にいるんだろう。まさかこうなるとは思っていなかった」と。もう引越しから5年経っていたし,もう東京のほうがわが街である。友達もいて,町もよく知っていて,東京の家が帰る場所だった。生活に満ち足りていたのに「漠然として不思議」を覚えていたのだ。


いろいろな事情と,文化祭や学校見学の雰囲気で,なんとなく高専に行くことにした。推薦で入学した。
名前と顔を一致して覚えるのが得意ではないので,のんびりと友達が増えていった。放課後に大富豪かポーカーをしていた。楽しかった。その頃には僕の生きる世界は高専になっていて,大事なものはすべてそこにあった。
学科配属され,進級を重ねる。その世界は素晴らしかった。放課後も,飲み会も,文化祭も,皆で受ける授業も,試験勉強も,全ては満たされていた(満たされていないのは出席時数と単位だけだ)。それでも,僕はふと思っていた。「なんで俺ここにいるんだろう。不思議だ」。



少し話しをずらそう。


僕の人生で,もう一つ,重要な感覚がある。「あぁ,この楽しい時間も仲間も,いつか終わるんだよな」という感覚だ。
高専1年の放課後のポーカー。10名強で机を囲んでいたときに思っていた。皆が笑っていて,自分も笑っていた時に思っていた。「あぁ,これはいつか終わるな」と。覚悟をしていた。終わる覚悟を,多分ただ一人していた。なぜ,その瞬間を存分に楽しめないことを思ってしまうのか,後悔していた。それでいて,皆が大好きだった。この時の光景と心情は今でも克明である。(後に,その時に同席した親友にこの話しをすると,驚かれた。あの瞬間から予期していたことを。)
僕は常にその時の仲間の楽しさや幸せを求めて,多くのことを一緒に行った。それでも,高専生活の後半には,連絡が途絶え,留年し,退学し,別の道を歩んでいった。予想通りだった。


この感覚を最初に覚えたのは,小学校4年の夏,仙台の小学校の渡り廊下だった。仲良しグループで,ひとつ約束をしたのだ。"20歳になったら○○で集合して,ディズニーランドに行こう"。・・・残念ながら今や集合場所を思い出すことも出来ない。多分,皆も覚えていないだろう。その時も僕は思ったのだ。「あぁ,無理だよな。だって,いつかバラバラになって忘れちゃうもの」と。そして僕は転校した。(ちなみに彼らは東日本大震災を生き残ったようだ。ちょくちょく死亡者リストを検索している。)


時間を高専に戻そう。高専ではその後半にも多くの大切な仲間に出会った。たくさんの時間と感覚と幸せを共有した。できる限り,多くの幸せが提供でき,共有できるように,僕は懸命だった。それでも僕はいつも,終わることを知っていた。当然,その歳にもなれば皆知っていただろうけど。ただ,楽しければ楽しいほど,悲しいほど終わることを感じてしまっていた。
そして今,皆は卒業し,別々の道を歩んでいる。



今,僕は大学生になり,ひとり愛知にいる。これからの生活は分からない。それでも多分幾人かは友人ができ,大学生活をおくっていくのだろう。終わることは,知っている。そして,とても不思議だ。なぜ僕は仙台のあそこではなく,愛知の豊橋で一人暮らしているのだろう。
ここはとてもいい所だ。空は広く,夜は月が明るく,住まいは程良く快適で,自由な時間が多く,愛しいほど不便だ。
それでも不思議だ。なぜ僕はここにいるのだろう。



つまるところ,僕は楽しければ楽しいほど終わることを感じてしまい,いつの瞬間も漠然として不思議を覚えている。
冷静に考察すれば,ただ単にどこか臆病だから終わることを想像するだけであるし,その瞬間を共有する仲間が好きだからこそ臆病になるのだろう。また,明確な目的意識もなく,ただ漠然と流れに乗って生きているからこそ,漠然と不思議なのだろう。そりゃそうだ,テキトーに動いていたら,不思議な所にいる。
あまりにもアホなのだ。基本的にエモーショナルに動いているから,皆を愛しすぎ,怖くなる。エモーショナルに動いているから,不思議な感覚にとらわれる。


それでも,僕はこの生き方をやめたくない。アホな自分は嫌いではない。僕の周りにいるすべての人は大切で愛しく,その時その時にいる場所は良い場所だ。僕の居た空間は最高で,居た場所は最高だ。



ただ,ひとつ願うことがある。
皆とあの場所で会いたい。それは仙台でも東京でも小学校でも中学校でも高専でも秘密基地でも集会場所でもあの帰り道でも教室でも研究室でも非常階段でも飲み屋でもカラオケでも駅でも電車でも旅行先でもマクドナルドでもサイゼリヤでも,どこでもいい。あの空間を共有した皆と,あの辺の場所で会いたい。いつでもいい。共に会ってみたい。


僕のただひとつの将来の夢は「大人になって皆で会って,いろんな話をつまみに酒を呑む」ことだ。
いつからか,将来の夢はそう決まっている。その時には言えなかったことや,当時辛かったことや,しょうもないことや,楽しかったことや,いろいろな事をしゃべって,皆で笑うのだ。それだけが僕の人生上のポリシーだ。
酒は飲まなくても別にいいけど,大人になって皆で笑うのだ。


アホだから,これからも不思議な場所でなぜか人生を過ごしていくのだろう。でも,ゴールだけは,そう決めている。
「この瞬間は終わってしまうけどね」という感覚を,幸せへと導きたい。


だからどうか,皆がしあわせに生きていきますように。
明日も人生,頑張ってください。

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